自分を受け入れる方法

朝方はとても寒くなってきました。
寒いと温かくしますよね?

僕は極度の寒がりなんです。
デスクワークがほとんどなので
冷え性なんだと思います。

あっ、そんな話をしたいのではなく
寒いという事実、寒いという感情を
まずは受け入れることが大切という話。

夏場は暑い。暑いとイライラしますよね。
でも暑いという事実を受け入れる。

例えば、エアコンやストーブを使った
温度調整の快適さって違いますよね?

極端に暖かくするか、涼しくするか?
ほんの少しだけ温かくするか、涼しくするか?

これらは手前の所にある感情。
寒いを寒いと受け入れているか?
暑いは暑いと受け入れているかなんです。

そんな中で自分の存在を受け入れるとは、
そもそもどういうことなのか?を、

なるべく分かりやすく
噛み砕いてみたいと思います。

なぜ、大人になっても受け入れることが
素直にできない人が多いのでしょうか?

これは掘り起こせば幼少期の記憶が
色々と絡んでいるのですが・・・

一旦、ここの話はちょっと置いといて、
大切なのは・・・

自分が感じた気持ちを受け入れること

感情が湧きおこる前部分が、
親であれ、他人であれ、

例えば・・・

〇〇をしてもらえなかったから

〇〇を与えてもらえなかったから

〇〇を買ってもらえなかったから

僕の幼少期で言えば・・・

母ちゃんからキン肉マンの人形を
買ってもらえなかったから(笑)

つまり、相手の「行為」に
重きを置かないことなんです。

ここで言えば、母がキン肉マンの
人形を買ってくれなかった所に
重きを置いてしまうと・・・

母に怒りを抱き、そこから更に
普段は見えない嫌な所を探して
憎悪だけが強くなってしまいます。

なので、キン肉マンの人形を
買ってもらえなかった後の感情を
自分の中で受け止めることが大切です。

この出来事であれば、ただ、ただ、
悲しかった。残念だったな・・・という
感情だけを受け止めます。

だから我慢せずに悲しんでいいし、
残念だと思っていい。

例えば、母ちゃんお願いだ~!
キン肉マンを買ってくれ~!と
必死にお願いしている時に、

突然、父ちゃんが後ろから表れて
悲しかった。残念だったという感情を
当時は怖くて出せなかったかもしれない。

ここは世間一般的に・・・とか、
他人と比較してとか

こういうのは置いといて大丈夫です。

自分が感じた気持ちだけを
ただ素直に受け止めるだけです。

もう少し深堀りしますね。

相手が何もしてくれない。相手が与えてくれない。

相手が何かをしてくれる。相手が何かをしてくれた。

僕たち一人ひとりが相手に抱く感情は「自由」です。

なんで、こういう話をしているのかというと
自分を受け入れられない方の多くは、

あまりにもべき論(白黒思考)が強くて
全てが勝ち負けなんです。

白と黒の間にあるグレーもあっていいし、

勝ち負けではなく引き分けがあってもいい。

ちょっと道徳的価値観を外してお伝えしますよ?

いつも私に優しくしてくれる

※相手を好きにならなければじゃないですよね?

いつもご飯を作ってくれる。

※だから感謝しなければならないじゃないんです。
もちろん、感謝精神は大切です。

ここでお伝えしたいのは「行為そのもの」が
大切な訳じゃないんです。

まずは自分の「感情」を否定せずに
受け入れてあげること。

もちろん、その為には受け入れる
器を広げていくことも大切です。

繰り返しますが行為そのものじゃなく、
相手に持つ感情は「自由」なんです。

そうですね。チョコを1つしかもらえないとしても
「愛情」をもらったと感じることもあるでしょう?

なので、感情を受け入れていく。
そこから癒していく。

これが出来るようになれば自己肯定感は
必然的にあがっていきます。

無理やり「私は出来る!やれる!」と
思い込もうとするのではなく、

習慣を変えてみて、思考習慣が変わると
無理に自分を追い込んでいくこともなくなり、

自然に出来るようになったことを
素直に認められる私になっていきます。

今は自己肯定感×2と言われていますが、

自己肯定感が高い人は落ち込まない人でしょうか?

常にポジティブな人の事を言うのでしょうか?

いつも自信に満ち溢れている人のことでしょうか?

これらの思い込みは全て違います。

4冊目の覚悟の準備でお伝えしていますが、
自己肯定感を高めていく為には、

自分の人生を引き受けられるかどうか?

例えば、自分がやってしまった失敗を
きちんと素直に受け止められるかどうか?

凹んだりしても、その気持ち(色んな感情)を
しっかり受け止めて、自分と向き合えるかどうか?

自己肯定感が高い人というのは、
「自分の名前」で生きていくことなんです。

それが、自分の人生を引き受けるということ。

僕たち一人ひとりは存在しているだけで
大きな価値があります。それを認めることが
自己受容の第一歩です。

何かが出来なければ、何かを達成しなければ、

資格を取らなければ、結果を出さなければ

自分に価値がないなんてことはありません。

僕たちは誰もが丸裸で生まれてきます。

周りに囲まれて、みんなが笑ってくれたはず。

もうそれだけで価値がありますよね?

生まれた時に付加価値をつけられ
これが出来るようにならば存在する意味はないと、
親に思われながら生まれてきたのでしょうか?

ただ、ただ、生まれてこれただけで、
目の前の人を喜ばせることができたはずです。

どんな理由であれ、どんな重荷を背負ったとしても
ただ存在しているだけで、僕たちには価値があります。
その感情を受け入れることが大切です。

生きていれば色んな出来事に遭遇しますよね?

これらを環境や相手のせいにするのではなく

自分の人生の一部として受け止めて歩いていくこと。

それが出来ている人が自己受容をして
私という人生を歩いている人たちです。

そういう人たちが率先して
誰かの足元を照らしていると
僕は思っています。

亡くなった母が言ってました。
誰でも道は外すことがあるって・・・

あんたもだいぶ道を外してきたけど、
人としての道を踏み外さなかったことだけが
唯一、良かったことよと・・・

誰だって過ちの1つや2つはあります。
でも、そこから軌道修正すればいいだけですよね?

どうやって軌道修正するのか?
その舞台はどこにあるのか?

それは目の前に与えられた
毎日という名の1日の中にあります。

あなたがどう生きるのか?どう在りたいのか?

僕は1つだけ絶対に譲れない信念を持ってます。
それは何かと言うと・・・

命を紡いでくれたご先祖さんと
亡くなった母が空から僕を見ている中で、
悲しくなるような生き方をしないということ。

いつも安心してくれるように、喜んでくれるように
人としての筋道を踏み外さない様に、

そして、出来る限り人に優しくいようと思っています。

なぜなら「関わってくれた人」は
何かしらの縁です。

その人たちを大切にしたいと思えば思うほど、
自分のことも大切にしてあげてください。

自分を大切にできない中で、相手を大切にしても
いつか必ずどこかで見返りが出てきます。

自分の心にある愛タンクを満タンにしましょう。
いつも満タンでいる為に、

自分で自分を癒す力を持つことです。

自分を癒すことが出来るのは
自分しかいません。これは本当です。

仮に今、あなたが結婚して幸せだとしても
自分を癒すのはパートナーじゃありません。
愛犬でもない。子供でもありません。

お互い自分の人生しか歩けないのです。
だから依存してはいけない。

本当に癒すことができるのは
自分から自分に向ける癒しです。

どう感じて、どう受け止めていくのか?

更に深堀りすると、この「癒された」と
決めるのも自分自身なんです。

ここに基準はありません。

自分が癒されたと思えるまで
自分を癒して大切にするだけです。