僕の娘がバイバイを言わない理由

僕の娘は友達はもちろんのこと、
家族に対してもバイバイと言いません。

バイバイとは言う事があっても
必ず最後は「またね!」と言います。

これにはちょっとした理由がありまして、
僕の昔話が影響しているのだと思います。

僕は若い頃、喧嘩別れをした友人がいまして、
そのまま卒業する事になり、

そこから1年経つか絶たないかぐらいの時に、
その友人とあと3人で居酒屋でお酒を飲み、

その後、国道を120キロで蛇行運転を
繰り返してしまいまして、

車が180度ひっくり返り
即死してしまったと・・・

朝方に鳴った友人の妹さんから電話が
まさかそんな出来事が起きたなんて・・・

電話ごしから聞こえる妹さんの泣き声を
当時10代だった僕は頭が真っ白になり、
現実として受け取る事が出来ませんでした。

亡くなった友人は身近にいた同級生の中で
僕たちの青春時代の中で最初に起こった
一生忘れられない悲しい出来事となりました。

僕にとってこの友人とは、高校の時も3年間。
学校に一緒に行った仲だったんですね。

僕は喧嘩別れをしたその時に、
もう会いたくもない。バイバイと
言った様な記憶がありました。

自分の中で後悔の念が残りました・・・

なぜ、あの時、卒業式の時にでも
色々とあったけどって、

また、どこかで元気に逢おう!と
僕は言えなかったのか?

色んな事が頭の中を駆け巡りました。

だから僕はそれからというもの
バイバイと言う事をやめました。
さよならもやめました。

もちろん、バイバイを言うのが
ダメな訳ではありません。

あくまで僕の中での倫理観です。

その中でもしも、バイバイを言うのならば、
バイバイ。またね!バイバイ。またどこかで・・・
バイバイ。これまでありがとう!いつかどこかで・・・

この「また」に心を込めます。
また逢えます様に、また逢いたいからと・・・

なぜなら、明日また会える約束は、
100%ではないからです。

つまり、特別な日というものは
当たり前の日々が続く事こそが
特別な日なんだという事です。

そう、毎日が特別な日なんです。

@kokoro.tsukurikata #人生 #自分らしく #tiktok教室 #生きる #大切な人 ♬ A song with a moist and calm atmosphere(1013287) – inakome

この話を娘が小学校4年生ぐらいの時に、
お父ちゃんさ・・・と話をした事があります。

それから娘は誰に対しても「またね!」と
元気に手を振る様になりました。

友達と電話をしている時も「またね~」と言って
電話を切っています。

僕が強制をした訳ではありませんが、
何かしら思う事があったのでしょう。

大人のまたね!に対する新しい考え方として

少し話が変わりますが、年齢を重ねていくと
二度と会いたくないと感じる人と、
職場やプライベートの中でも出逢いますよね?

特に仕事の場合。どんなに嫌いな人でも
一緒に接しないといけない時間が、
誰にでもあります。

また恋愛中の時などは、自分が傷つけられたり、
自分の大切な人が傷つけられたりすると、
余計にそう思ったりするものです。

ただ、二度と逢わないと決意をしても、
世の中は狭いものでして、ばったり逢う事があります。

またどちらかが、誰かを通じてお互いを、
どこかで見かける時があるかもしれません。

風の便りで耳にするかもしれませんよね?

ひょっとしたら、自分が気づかないだけで、
どこかの場所ですれ違う時もあるかもしれません。
そんな時はこういう風に考えてください。

相手を見返す考え方ではなく感謝に変える

もう二度と会いたくない人と逢ってしまった時の
あの時からのまたね!は・・・

自分はもっと素晴らしい魅力がある人間に
あなたのお陰でなっていると思う。

だから、心のステージを上げた私は、
もうあなたに気づかないかもしれないし、

もし気づいたとしても、ばったり会っても
あの時みたいにオドオドせずに、イライラもせずに、

威風堂々と笑顔で久しぶりね!またね!と
サラッとすれ違う事が出来る人になっているでしょうと・・・

それまで「またね!」で終わればいいのです。
最後は、あなたと出逢ったお陰で、

気づけたし、学べたし、人として成長出来たと
感謝に変わる様に自分を成長させましょう!

この出来事があったからこそ、
成長した自分がいるのだからと・・・
だから感謝だなって。

この人と出逢い、傷つけられたとしても、
その痛みや気持ちを全て包んでくれる人は、
この世に必ず存在します。

まだ、その人と出逢っていないだけです。
だからこそ、自分の心のステージを
日常生活の中で高めないといけません。

自分の人生を生きる上で大切なのは、
単純に時間の流れだけで解決させるのではなく、
自分がどう乗り越えようとしたのか?

自分がどう捉えて、前に向かって
進みはじめいく過程によって、
人生は大きく変わります。

人は何をするか以上に、誰と出逢うかです。

聖なる別れが起こる時、聖なる孤独が訪れます。
でも、その後に聖なる出逢いが起こります。
最後に聖なる絆が生まれていきます。

僕が大恩人の人に教えてもらった教えです。

出逢いがないと迷う時は本と出逢ってください。
そして、少なからず僕はあなたの味方でいたいと思います。