与える側の方が人生は楽しい!

生きる事に疲れました。
生きる意味ってあるのでしょうか?
もしあるのなら教えてください。

こういうご相談をいただきました。
メールを頂き感謝致します。

まず僕から言える事は、
冷たく聞こえるかもしれませんが・・・

僕たちが「生きる意味」はないということです。

例えば、動物が生きる意味を考えながら
日頃から生きていますでしょうか?

ただ、ただ1日を大切にしながら
生きているだけです。

ただ、僕たち人間は、
脳が発達しているからこそ、

生きる意味を探そうとしたり、
答えを見つけようとします。

でも、絶対的な答えはありません。

例えば、色々と嫌な出来事が続いてしまったり、
人間関係に疲れてしまうと、

ふと、何の為に自分は生きているのだろうか?
何となく考えてしまう事があります。

あまりに考えすぎてしまうと、
全てが嫌になってしまう時も、
性格によってはあるかもしれません。

さきほど冒頭で「生きる意味」はないと、
僕はあなたにお伝えしました。

なぜなら、自分の生涯を通じて、
「生きる意味」を見つける事が、
人生の醍醐味だからです。

これは僕が作った考え方ではなく、
僕が10代の頃に道を外している時、

先日僕にメール相談をされた方と同じ様に、
ある和尚さんに訪ねた事があります。

その時に和尚さんに言われたのが・・・
生きる意味はないんだという話でした。

自分が生きる意味を見い出したり、
見つけていくのが人生なんだと・・・
だから絶対的な答えはありませんと、
優しい顔で言われてました。

つまり、1つ1つの出来事に対して、
良くも悪くも意味付けさせる事が出来るのは、
自分自身でしかないという事です。

答えは1つではないのならば、
どういう生き方をする事が、
自分にとってベストなのか?を

この時代の中で生かされている内に、
自分の中で見い出さないといけません。

でも、なぜ見つけないといけないのでしょうか?

それは自分の命を紡いでくれてきた
先祖さんたちがいるからです。

命を紡いでくれた先祖さんたちが、
いつも喜んでくれる様な生き方を、

ほんの少しでもいいから心がけた方が、
自分に責任を持てると思うのです。

今から70数年前。第二次世界大戦で
特攻隊として亡くなられた方々は、

日本の未来を信じて、未来を託して
自分の命を家族と孫たちの未来の為に、
戦ってくれた事実があります。

今、日本はいい国ですか?と
英霊さんたちから聞かれたら、
僕たちはどう答えるべきでしょうか?

僕は常に心がけている事があります。

どう生きればいいのか分からない時も、
道に迷った時も、自分が苦しい時も、
僕がどんな行動をすれば、

先祖さん達が喜んでくれるのか?
亡くなった母だったらどうするのか?

僕が尊敬している社長さんたちなら
どうするのか?

人生に分岐点に立たされた時は、
この3つを考える様にしています。

先祖さんが喜ぶ為には?
亡くなった母だったら?
尊敬する社長さんたちなら?

〇〇さんならば・・・と考えます。

生きる意味に正解はないと、
お伝えしましたが、

だからと言って、人が嫌がる事をしたり、
他人を困らせるのは良くありません。

なぜなら、誰かの役に立つ、誰かの力になる、
誰かの支えになるという生き方の方が、
自分の人生に対してプラスになって

働いていく事が多いからです。

他人の幸せを奪ったり、他人からお金を奪ったり、
これは死に金と呼ばれているのですが、

死に金で生きていると、その反動がいつの日か、
必ず自分に返ってくる事になります。

自分だけに返ってくるのならば、
自分の人生を通じて背負えばいいのですが、

これが周りにまで背負わせてしまうと、
ちゃんと自分の人生を取り戻すまでには、

自分が変わろうと行動を変えない限り、
絶対に変わりませんし、

気づくまで色んな出来事を通じて
同じ様な出来事が起こります。

これは僕が身を持って痛感している事です。

あぁ・・・こういう時になると
いつもこうだと思ってしまうのは、
自分が気づくまで起こるという事です。

だからこそ、僕たちは学ばないといけません。
何歳になっても常に学ぶしかないのです。

信用や信頼が崩れ去るのは、
一瞬と言われるのは・・・

自分が幸せになる為に、
他人の幸せを奪ったり、

他人のお金で生きている時が
ほとんどの時が多いです。

誰もが一人じゃ生きれませんから、
他人の幸せを奪ってはいけません。

常に助け合いの心を持つ事が大切です。

日本人は助け合う精神がある様に見えて、
実は助け合いが薄い国でもあると言われています。

これは日頃から自分に関わる相手に対して、
感謝や敬意が少ないからとも言われています。

例えばアメリカでは「愛が全て」だと
当たり前の様に言える人たちが、
非常に多いからこそ、

助け合いが大事だと思われています。

少しだけこの動画を見てもらえませんか?
日本ではあまり見られない光景だと思います。
さて、どうでしょうか?

引用動画・エイミーの英会話さまより

助け合いの精神が当たり前にあると、
人はこういう行動を起こしていくと
言われているのですが、

僕たち日本人はこういう習慣があまりないです。

それは与えてもらうのが、
当たり前になり過ぎて
生きているからです。

だからこそ、少しマイナスが事が起こると、
相手のせいにしたり、環境のせいにしたりと、

いつも誰かのせいにしながら、
自分自身を保とうとします。

こういう思考が続いていくと、
人間力が成長しません。

だからこそ、自分の大切な時間そのものを、
誰かのせいに、環境のせいにする方ほど、
生きる意味を考える時間に当ててしまいます。

ここに時間を使うのが悪い訳ではないのですが、
目の前に与えられた時間と精一杯向き合った方が、
後悔が少ない人生を送れると思います。

ただ、僕たちは生きていると色んな出来事と、
向き合わないといけない事が多いですよね?

その多くの原因を占めていくのが、
やはり人間関係です。

職場でも、恋愛でも、結婚でも、
大半が人間関係の歪みから起こります。

僕たちは、その時にどう捉えるか?
どう意味付けを行い、次に繋がるのか?

その時、その時の考え方次第で、
今後の人生が大きく変わります。

だからこそ、自分の器を磨かないといけません。

人間力が試される時は、
自分が窮地に立った時です。

投げやりになるのか?
使命を全うするのか?

どう捉えて、受け止めるのかで、
人生は変わっていきます。
苦楽は一生の友です。

生きていれば大変な事の方が多いです。

でも、乗り越えようとする過程に、
人間としての喜びがあります。

なぜなら、僕たちは人間なのだから・・・

PS

時に、自分に原因がないとしても、
誰かの為に何もかも失ってしまう時があります。

もちろん、僕の人生にもあります。

ただ、諦めてはいけない。
諦める事はいつでも出来ます。
何かも失ってしまった。

果たして本当にそうでしょうか?

声を出す・しゃべる力は
まだ残されている。

お願いします。助けて欲しい。
力を貸して欲しいと言える力は、
誰にでもあります。

だから何もかも失ったとしても、
自分の生き方を全うしていると、
誰かが力になってくれます。

僕は何度も助けてもらってきました。

だから、困っている人がいるのなら、
限られた事しか出来ないかもしれない。

でも偽善でもなんでもなく、
助けてもらった分、救ってもらった分、

困っている人がいたら、出来る限りですが
助けていきたいなと思います。

本当の意味で、自分が生き方が試されるのは、
自分がどうしようもなくなった時に、
あなたの周りに誰が残ってくれるかです。

相手をどうこう言うのは
本当に簡単です。

ただね、その人を選んだのも
その人との仕事を選んだのも
自分なんですよね。

変えようとすると自分が苦しくなります。
だから自分が変わる方が早いのです。

良くも悪くも、相手の事を考えるならば、
自分が先に変わった方が早いです。

僕たちは常に学ばないといけません。

そして、気づいていかないといけません。
僕も成長していこうと思います。

過信をしてはいけません。
過信しなければ凹む事もありません。

生きていれば何とかなります。
生きる事に疲れる事もあるかもしれない。

でも、僕たちはどちらにしても、
必ず土に還る生き物です。

生きる事に疲れたら、少し休んで
自然と向き合ってみるのもいいですよ。

空を眺めるだけでもいい。
川の音を聞くだけでもいい。
鳥の鳴き声に耳を傾けるだけでもいい。

自然の摂理の中で気づける事も
たくさんありますよ^^

生きるとは、喜怒哀楽を通じて
自分の中に気づきや学びを手に入れて、
次に繋げていくことです。

どんな形でもいい。誰かの為に
誰かの笑顔の為に生きる事で、
自分の存在を認める事が出来ます。

そして、あなたが生きているだけで
必ず誰かを幸せにしているし、

誰かに妬まれたり、恨まれたりもしています。

でもね、それでも誰かの笑顔の為に
僕たちは生きた方がいいのです。

相手が笑えば、自分も嬉しいでしょ?
誰かが喜んでくれたら自分も喜ぶでしょ?

だからこそ、自分から先に与える事です。
与えないと相手から承認はされません。