助け合い精神があった方がいい?

損得勘定ではなく、助け合いの精神が
お互いの中で当たり前にあれば、
もっと社会は豊かになると思います。

ただ、簡単な様で難しい・・・

人の道徳観は、その人が歩いてきた
人生の中でコアビリーフとして
構築されていくので、

助け合う事で甘さが生まれるとか、
実はお互いの為にならないとか、

そもそも、人とあまり関わりたくないとか、
十人十色で色んな考え方があります。

確かに環境や出逢いによる影響によっては、
そういう風に考えたり、感じる事もあるかもしれない。

これは助け合う事が当たり前の風潮に
日本はなっている様でなっていないからです。

助け合いの精神があっても、
それを表現するのが偽善という
価値観が強い所もあり難しいのです。

ただ、そうは言ってもですよ?
僕たち人間は、一人の力だけで
生きている訳ではありません。

例えば、自分の住んでいる家も、
色んな意味を込めて「人の尽力」に
お金を払っています。

スーパーやコンビニで買う
食べ物・飲み物も含め、

自分一人でではどうしようも出来ません。
全てが1つ1つに関わっている人のお陰です。

これらに対して、
ちゃんとお金を払っているから、

そういう意味では助け合いになっているでしょ?
思われる気持ちも凄く分かります。

当然ながら何も間違ってはいません。

しかし、お金と物の交換を通じて、
成り立つ助け合いだけではなく


同じ国、同じ県、同じ市や
町で生きる者同士が、

助け合いという大きな括りの中で、
ちゃんと並んでいる順番を守るとか、

困っている人がいれば、
声をかけてあげる。

自分に少し余裕があるのなら、
先に譲ってあげる気持ちを持つとか

日頃のほんのちょっとした
優しさが増えるだけで、

僕たちが生きる日本は、
大きく変われる気がするんです。

つまり、これらの部分を
政治任せにするのではなく、

僕たち一人ひとりがこの国に生きる中で
日本は終わっているばかり言わずに、

どれだけ生かされている事に感謝しながら、
目の前の出来事と向き合えているかで、
変わっていける所はあると思うんです。

僕たちは助け合いが必要じゃない思っても、
結局は色んな人の力を借りながら、

僕たちは子供から大人になって、
社会に出ていきます。

基本は与えられる事が当たり前の中で
僕たちは生かされています。

もちろん、顔が違う様にスタートラインは
みんな同じではありません。