今日はブログからのお問合せで、
忘れたいのに忘れられない事があり、
これがトラウマとして残っている場合は、
どうしたらいいですか?という相談です。
誰でも忘れたいのに、忘れられない事が
大なり、小なりありますよね?
だからこそ、出来る事なら忘れたいと
思う事は当たり前だと思います。
ただ、忘れたいのに忘れられないという事は、
僕が道を外している時に、
お寺の和尚さんが教えてくれたのは、
それは自分の成長の為に、
忘れてはいけない事でもあるんだよと、
大切だと思う人たちの為に
あえて今は忘れてはいけないと
自分を奮い立たせる力に変えなさいと
若い頃に道を外している時に、
和尚さんに教えてもらいました。
忘れてはいけない事かもしれないという考え方
つまり、自分がこれから生きていく上で、
忘れたいのに忘れられない事を背負って、
同じ経験を二度としない為にも、
自分が大切さと思う人の為にも、
あえて背負って生きていきなさい。
今はまだその時期ですと・・・
確かにそうだったかもしれません。
ご相談をくださった方と同じ様に、
僕にも忘れたい事が多々あります。
でも、何年経っても、何十年経っても、
大きな出来事ほど忘れる事はありません。
だからこそ、忘れてはいけない事として捉え、
同じ事を繰り返さない様に、
そして、自分が大切にしたい誰かが
同じ経験をして、辛い思いをしない為にも、
あえて、僕たちは忘れられないのかもしれません。
母が亡くなってから、よりそう思う様にもなりました。
忘れられない事は、自分の未来を良くする為にも
忘れてはいけないことだと思います。
きっと、その時以上の出来事に遭遇した時。
忘れられない経験があったからこそ、
助けてもらったからこそと・・・
色んな事を思い出して、乗り越える為の力に
変えられるかもしれません。
いつも時間は僕たちの味方です。
時間と共に成長もしていきますし、
時間と共に傷が癒える事もあります。
ただ、ここには1人で修復させる事と
他力のお陰で修復出来る事なども含め、
色んな思いやりや厳しさが交差して
1つ1つが成り立っていきます。
誰1人として、ひとりで生きてきた人はいませんが、
他人が踏み込めない領域が存在します。
助けたくても助けられない時があります。
だからこそ、地に足を付けて自分の名前で生きれる
この強さと柔軟さが、今は特に必要な時代です。
流れに身を委ねながらで見える景色と、
もがきながら辿り着いて見える景色は、
見えるものは同じでも、
感じ方は別物です。
富士山にどう登ろうとするのかも
同じだと思いますし、貯金だって同じです。
そして信用も、信頼も同じです。
どういう積み重ねをしながら生きてきたかで、
人の器や人徳が大きく変わると思います。
自分はどれだけ信用残高があるのか?
最後に1番大切なのはお金がある・ないよりも、
いざという時の信用残高があるのか、
ないのかの方が、僕は大切だと思います。
その為に忘れてはいけない事なのかもしれませんよ。