命とは時間と向き合うこと

僕は介護をしている身なのですが、
2025年に向かっていく中で、

介護は誰しもが、必ず経験する事だと思います。
介護される側、介護する側どちらもです。
そんな中で・・・

◆人は声から忘れていく

偉大なる母が亡くなった時、
僕は自分の人生を賭けて、
本気で介護をさせてもらったので

自分が思っていた程の悲しみはなく、
充実感という言葉が正しいのかは、
分からないのですが

親子で一緒に歩いて来れた気持ちの方が強く、
そこには感謝しかありませんでした。

ただそうは言っても葬儀が終わった後、
ボーリング玉ぐらいの穴が、

自分の心に空いている気がしました。

そんな中で尊敬する人生の先輩が、
お母さんの血はお前に流れているのだから、

ちゃんと生きているよと言われて救われました。

何が言いたいのか?と言いますと、
人が一番悲しくなるのは、

忘れられる事なんです。

だからこそ、いつもお母さんの事を忘れずに、
毎日思い出して感謝しながら生きていく事が

これからの僕にとって、
重要な指針になるよとも教えてもらえた。

でも僕は介護に追われ過ぎて、
母との会話や動画を、

実は、ほとんど残せていません・・・

ある時、1週間に1度だけ来てくれる
訪問介護の先生が言ってた事を思い出しました。

人は声から忘れていく生き物だから、
ちゃんを声を残してあげてね!

そしたら、いつも傍にいてくれる
温かい気持ちになれるからねと・・・

もちろん、目を瞑れば母ちゃんの声は思い出せます。

だけど日常の会話の中で色んな話をした事を、
なぜ僕は、ベッドの横にパソコンを置いた中で、
仕事をしていたのに、

手元にあるスマホで録音をしなかったのか
とても後悔をしています。

もしも今、母が僕に託してくれた教えを、
声として聴くことが出来るのならば、

今、どれだけ励みになり、
そして、どれだけ僕に勇気を、
与えてくれただろうかと、

ふと思ってしまう時があります。

いつも当たり前にいてくれる人が、
突然居なくなったら?

例えば隣で普通に寝ている旦那さんや、
奥さんのいびき声すらも、

愛おしくなるとも言われていますし、

そのいびき声が聞こえないからこそ
寝れなくなってしまうという事もあるそうです。

当たり前が続く事は幸せだけではなく、
愛しさもあると思います。

だからこそ、大切な人の声から
愛していきたいものです。

なぜなら人は忘れられる事が1番悲しい事で、
そして人は声から忘れてしまうからです。

何が起こるか分からないからこそ、
今は手軽に音声録音も、動画も撮れる時代ですから、
大切な場面は忘れない為に残してくださいね。

スワイプファイルとして、
データーを残しておく事を、
これからの為に習慣化してくださいね。

◆大人になって綱引きはしない

社会人になっても綱引きをする方が、
非常に多いと思いませんか?

あなたがこうしたから自分もこうした。

あなたがこう言ったらから自分もこう言った。

これが綱引きです。

これだと絶対にお互いが報われる事はないし、
具体的な解決策は出てきません。

特に介護される側は立場が弱いので、
本人が一番しんどいのですから、

心を寄り添って相手の立場になって、
常に考えてあげる事を忘れないでください。

親子の場合は特にそうです。

この薬を飲みたくないと言うから、
もう知らないとか、先生たちの言う事を、
ちゃんと聞かないならご飯も作らないとか、

自分は間違っていないという事を、
正当化・防衛する為、

もしくは勝ち負けを決めて、
優位性を保ちたい時に、

人は綱引きを行おうとしてしまいます。

これでは双方の関係性が、維持できなくなります。
いつも大切なのは「調和をゴール」にするという事です。

母は亡くなる前にこう言いました。

年齢を重ねていつか自分が天に帰る時、
心から納得して自分の死を受け容れて、
生涯を終えられる様にしなさいと・・・

自分は病院に行かずに、
自宅介護にこだわりつづけたのは、

全ては僕の未来の為だったと思えます。

なぜなら僕が親になって、
次世代にバトンを渡せる為にも、

自分の心を養う事から、
常に逃げてはいけない事を、
命をかけて教えてくれた気がします。