自分のことが分からない

本当の自分が分からないと悩む方は
どちらかというと気が弱い内向的な
性格の方が多いかもしれません。

例えば自分って存在する意味あるのかな?と
考え込んでしまう癖が強くあります。

昔の僕もそう思っていました。

本当の自分が分からなくて
過去の記憶から無意識の中で、
本音を抑えながら生きているから

なかなか気づけないんですね。

常に親や他人の顔色を伺いながら
生きるのが当たり前になっているから・・・

例えば仕事の飲み会があって
頑張って参加をしたとしても

会話に入っていけない・・・
ただ聞いているだけ・・・

主催者が気を使ってくれて
声をかけてはくれるけど、

お店の部屋から出ようと
靴を履く時にお疲れ!の一言。

「ただの人数合わせか・・・」
「可哀想だから誘っただけなのか?」
「普段からいる意味あるのかな?」

やっぱり、いつも虚しくなる。

ただ、そうは思っても
常に1人でいることが多いから

こういう日まで1人というのも
なんとなく嫌だしな・・・

何より1回断ってしまうと
2度と誘われなくなるだろうし
今後のことを考えるとな・・・

こういう風に考えてしまう自分が
内向的な性格なのかもと考えがち。

何となくビビりで気が弱いから、
人に話しかけるのも、空気を読み
顔色を伺いながら勇気を振り絞る。

いつも損しているのも分かっている。

何かある度にに自分の性格を
責め続けて、恨めしく思うことが
自分の中で当たり前になっている。

昔の僕も似たような所があるので
凄く分かります。

僕の場合。両親が同じタイミングで
末期がんになって、

ほぼひとりでの在宅介護が
9年前からはじまったのですが、

亡くなった母のお陰で命の軸や
生きる力を学ばせてもらって
心理学を学んできたからこそ、

心理カウンセラーとなった今、
強く言えることがあります。

気が弱い内向的な性格は、
実は性格ではないということ。

今の僕は当時とは違う性格が
ちゃんと備わっていることを
知っているからです。

実際にクライアントの方も
自分がアダルトチルドレンと
改めて気がついて、

自己嫌悪の種をみつけてから、
生きづらさを自然に手放して
ほどよく生きれています。

そもそもの生きづらさって
HSPの様な先天的な性格以上に、

幼少期に置いてけぼりにしてしまった
自分への愛を忘れている所からの方が
掘り下げてみると多いんです。

これが後天的と言われている部分。

なぜ、後天的な性格の方が
強くなってしまうのでしょうか?

幼少期・青年期を通じて、
生きる為に色んな感情と向き合って
少しずつ形成された愛着が、

他人の価値観に触れていく度に
あれあれ?なんか生きづらいなって
言葉には出せない気持ちが出てきます。

これは、いい人でありたい人や
認められたいという承認欲求が
強い方にめちゃくちゃ多いです。

心にフタをしたまま頑張ったからこそ、
社会人になってから、結婚してから
改めて気づくんですね。

だからこそ、早めに自己嫌悪の種を
みつけていかないと・・・

自分の考え・行動・発言・感情の全てを
いつもマイナスにしたままになります。

この根本が何なのかを
きちんとみつけることが、
本当の意味で、

自分から自分に寄り添うことなんです。

あの時の自分は、どんな気持ちだったんだろうと、
少しずつ客観視してみることが大切。
例えば、よくですね。

自分のことを認めることから
という言葉を目にすると思います。

確かにそうです。

でもね、先に認めていくことって、
心にフタをしてきた自分。

つまり、傷ついている自分を
先に認めてあげてください。

ずっとね、見てみぬ振りをしていると
もう一人の自分が泣いていることに
いつまでも気づけないから・・・