生きづらさを手放す
心理カウンセラーの松野です。
今日は僕自身も自分自身も実話として
怖いぐらい経験してきた因果応報の
恐ろしさについてのお話です。
僕の人生が大きく変わったのも、
この因果応報を自分の中で認め、
実話だからこそ、
しっかり受け入れたからです。
この因果応報は良くも悪くも
与えたものが自分に戻ってくる。
僕たちが生きる世界の中で
当たり前にあるものです。
因果応報や生きづらさに悩む
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1つの視点として因果応報は
過去の記憶。
つまり、潜在意識の積み重ねが
投影していることもあると思います。
思考が現実を作るという部分は
過去の記憶の積み重ねです。
しっかりと自己受容をしながら
自分を許していうことで
見ている世界は変わっていきますよ。
因果応報は実話として必ずある
そもそも、みんな因果応報って
悪い出来事に対してよく使われる
言葉なような気がしますが、
良いことにも使われますからね。
悪い事をすれば、
悪い事が返ってきて、
良い事をすれば、
良い事が返ってくる。
簡単に言うとこんな感じです。
「因果応報」って仏教の概念であり、
文字通り「因」(原因)を作れば
「果」(結果)が生じ、
「報」(報い)が必ず訪れる
という考え方です。
それはまるで種を蒔けば花が咲き、
行動すればその結果が必ず訪れる
という自然の法則に似ていますよね。
この因果応報って宇宙の
無偏無党な法則でもあり、
正しく理解をすれば、
日々の生活に活かせるので
より良い人生を歩む一歩となります。
まず理解すべきは因果応報が
必ず訪れるということって、
「悪い行いをすれば悪い報いがある」
とだけを指すわけではないということ
もちろん、悪い行いからは
悪い結果が生じる可能性が高いですが、
それは逆もまた然り。
良い行いや善行をすれば、
それに見合った良い結果が
必ずや訪れるというのが
因果応報の原則です。
この原則は物質的な現象だけでなく、
冒頭でお伝えした通り、
潜在意識の動きにも適用されます。
優しい心で接すれば周りの人々も
また優しくなり、その優しさが
自分自身に返ってくる。
これも因果応報の一部です。
それでは・・・
「因果応報の恐ろしさ」から
僕たちは何を学べばいいのでしょうか?
僕も気づくまで時間が掛かりましたが
実話として経験した話からします。
因果応報の恐ろしさが僕の人生を変えた。
多分信じられないかもしれません。
僕は20代の時に1年間の中で
追突事故に6回も遭いました。
1年の中でですよ?汗
この1年の6回の中で
1回目と2回目は2日連続です。
普通に考えるとありえないですよね?
実際に僕もそう思っていました。
1年の中で追突事故を繰り返す度に、
なんで俺だけこんな目に遭うんだろうな~
もう面倒くさいな~とグチばっかりです。
潜在意識に溜め込んできた自己否定が
溜まりに溜まっておきたということに
この時は気づいていません・・・
※要は自分を大切にしていないということですね。
こんな恐ろしい経験をしているのに、
今年は運が悪いな~と思うだけで
普段の生き方や習慣などは
全く変えようとしないんですね。
当時の僕の根元にあった考え方って、
本を読んで人生が変わるなら苦労はしないとか、
習慣を変えた所で別にお金が
降ってくる訳じゃないよね?みたいな
ひねくれた考え方だったんですね。
悪いのは僕じゃない。家庭環境のせい、
親のせい、親戚のせい、得意先のせいにして、
結局は誰かのせいにして生きてきたんだと思います。
でも、不思議なことに6回目の
追突事故を経験した時にですね。
なぜか?こんなことが頭の中を
ぶわ~っとかけめぐったんです。
これは・・・もう運がいいとか、
悪いとかの次元じゃなくて、
いつまで経っても自分の使命に
気づけない僕に対してですね、
ご先祖さんたちがここで生き方を変えないと
お前やばいよ?というメッセージを
送ってくれているような気がしたんです。
普段はそんなことを考えないのに
この感情には驚きました・・・
今までそんなこと1回も考えたことなかったので
僕は恐ろしさを学び生き方を変えることになります。
詳しい内容は動画の方にまとめています。
またこの記事の一番下に掲載している
※出版先・KKロングセラーズさまより
僕の4冊目の書籍「覚悟の準備」を
読んでもらえれば、
人生の成功者たちが僕に教えてくれた
うまくいかない人生を好転させる生き方を
僕の人生経験を通じて書かせてもらっています。
今はこのブログの中だけになりますが、
無料で公開しています。
良かったら読んでみてくださいね!
良くも悪くも因果に気づけた時に
僕たちの人生は変わりはじめます。
どうしても僕たちは因果応報だと思う以上に
親子問題の中で自分の中で折り合いがつけれなかった
心の傷があります。
ここを自分の中で癒せるようになると
因果応報のこともよく分かるようになります。
5冊目の新刊に詳しく書かせてもらいました。
「もっと自分を愛していい」という本です。
因果応報は過去の清算が大事
因果応報って自分の行動一つ一つが
未来を作る力を持っているという
自己責任の表れでもあります。
これは良くも悪くもですよ?
自分が作り出した結果には、
自分が責任を持っていくこと。
ここから逃げようとすると反動から
何かの出来事を通じて自分に戻ります。
「因果応報は必ず起きる」という事実は、
自分の行動が自分自身と周囲の世界に、
どのように影響を与えるか?
これらを意識的に理解して、
行動することを促すものです。
日々の生活習慣から生まれていくものが
自分の行動に大きく影響することを
自分自身が経験しないといけません。
良い「因」を作り、良い「果」を
得るための行動を選んだ方が
後悔は減らせるということですね。
ここで重要なのは因果となる原因を、
置き去りにしたままの方が多いということ。
特に幼少期の記憶の中で親の圧で
自分の中で折り合いがつけれなかったこと。
ここを親や他者から埋めてもらうのではなく
自分の内観部分と向き合うことが大切です。
これは自己中になりなさいという意味ではなく
自分を癒しなさいという意味です。
そうじゃないといつまで経っても
身体は大人になっているのに、
精神状態は子供みたいな感じになります。
これでは本当の意味で人としての
魂の成長はやってきません。
僕たちは命に嫌われる生き方をしないこと
1つ1つを丁寧に生きることが大切なんです。
なぜなら、誰しもが根元の原因を放置して
他者のせいにしている自分がいる時があります。
その人生の跳ね返りを生きている時間の中で、
何かしらの出来事を通じて戻ってきます。
これは自分が気づくまで繰り返すものです。
僕は著者としても、心理カウンセラーとしても
クライアントさんには、
心の成長を見ながら過去の清算をしていくという
1つの考え方を持っておきましょうとお伝えします。
それが命に嫌われない生き方に繋がるからです。
なぜ、そういう風にお伝えするのかというと、
人生の主語を相手にしながら生きているケースが
凄く多いからです。
人生の主語は常に自分にしないと
見ている世界に対して感謝の心が湧きませんし、
何より自分を許す為の心の器が広がっていかないんです。
ケセラセラ精神もあっていいのですが、
それだけでは乗り越えることができない
出来事に遭遇した時に、
生きづらさばかりが強く出てしまって
相手や環境のせいばかりにして
行動を起こす勇気が出なくなります。
因果応報の原因は改善できる?
原因となった因果の瞬間は
自分の生き方を通じて
取り戻していけばいいんです。
つまり、今この瞬間からはじめること。
丁寧に生きていくだけです。
例えば、同じ失敗や過ちをしない様に、
次に繋げましょうと言われますよね?
もちろん、それが間違いとは言いません。
ここで大切なのは「過程」です。
つまり、普段の生き方を指します。
因果って良くも悪くも
自分の人生の中でというか
毎日の出来事の中で
溜まっていくものなので、
たとえ人とのコミュニケーションが
今うまくいって人生が良好だとしても、
例えば・・・
他の所で車の運転中に
適当に信号無視をしたり、
歩きながらたばこのポイ捨てをしたり、
道にツバを吐いたり、
外でゴミの片づけをしなかったり、
どこかで立ち小便をしたり、
こういう社会で生きる上での当たり前を
無視した行動を続けていくと因果が溜まっていきます。
これはなぜかというと・・・
自分の行動から生まれた行為を
片付けたり、綺麗にしてくれている方々の
想いや行動を踏みにじっているからです。
こういう美しさが足らない悪い因果を
自分の人生の中に溜め込んでいくと
これらがいつかどこかで爆発して、
今の自分では予想も出来ないような
大きな出来事として、
自分が気づくまで色んな出来事になって
返ってくる事が多いです。
だからこそ、そこに気づける器を
毎日の中で育てないといけません。
僕はいつも溜まった因果は
過去の清算と思っています。
自分の因果の積み重ねが
家族に向けられる事もある。
ご先祖や親が積み上げてきた徳を
自分の生き方はないがしろにして
適当に生きていると、
徳の無駄遣いを自分にしている分。
これが家族に向けられることがあります。
つまり、家族に対して感謝をしながら
生きていますか?というメッセージです。
だからこそ、日常の中で起こってきたこと
自分が適当に過ごしてきた分まで、
過去の清算に繋がっていく為にも、
僕たちは自分の人生を丁寧に
生きていく使命があると思います。
誰もが道を外します。重要なのは・・・
人としての道を外さないこと
私生活習慣を通じて、
当たり前の基準を高くすることで、
過去の清算が1つずつ1つずつ
自分の人生を通じて消化していきます。
例えばたばこのポイ捨てをするのが
常に当たり前の人と、
それをしないのが当たり前の人。
むしろ拾って徳を貯める人。
どちらを優先して生きている人の方が
因果が残ったままだと思いますか?
当然ながらたばこのポイ捨てをするのが
自分の中で当たり前になっている人ですよね?
これってなぜだと思いますか?
答えは簡単。
人知れず誰かがあなたの変わりに
たばこを拾って処理しているからです。
これは他の出来事も同じです。
全く知らない誰かが、あなたの代わりに
因果となる部分を処理してくれているということ。
こういう小さな事を置き去りにした状態で、
何かいいことがないかな~と思っても、
当たり前の基準が低いと、
どんどん悪い意味での因果が溜まるだけなので、
それがゼロの状態(フラット)になるまでは、
自分を癒しながら1日1日を大切にしていく
生き方の積み重ねが良い方向へ変わるまで
丁寧に過ごしていくこと。
直ぐには変わらない覚悟を持って
自分の人生を丁寧に生きていきましょうね。
当たり前のことを大切にしない中で、
人生がうまくいく方法を望んでも、
残念ながらその未来はやってきません。
因果応報は他力のお陰から学ぶ
因果応報って自分だけではなく
相手にも投影していきます。
特に感情面から見える世界の中では、
因果の積み重ねから思考が出来上がるので、
身近な人に自分の思い込みが
投影しやすいんですよね。
その現実を作り上げていって
あ~やっぱり、そうなった。
ほら?やっぱり嫌われている。
こんな感じの因果について思い続ける
感情から見える世界が、
身内や職場の人にも
投影していきます。
そして、その世界を作っているのは
常に見ているのは自分だと気づかずに
その世界を味わうことになります。
だからこそですよ?
自分が出来る範囲からでいいので
普段の私生活習慣を通じて感謝できる
感情を保てるようになる為に、、
自分にとって当たり前の基準を
高くしていくことが大切です。
自分を卑下するのではなくて
大切な誰かを思う気持ちと同じように
自分に対する言葉も態度も大切にする。
それが自分の中で分かるようになると
他力で生かされている感謝にも気づけます。
この感謝に気づき、実は思っていた以上に
僕たちは幸せなんだなと気づくために
因果応報を経験していきます。
ただ、僕たちは自分が起こした全ての因果に
残念ながら気づく事が出来ません。
全てに気づく事が出来ないからこそ、
自分の人生を丁寧に歩かないといけません。
僕たちは生まれた瞬間から余命を生きています。
これまでよりも丁寧に自分の癒す
因果応報は必ずあるからこそ
命に嫌われる生き方をしない。
動画の中でお伝えしていますが
大切なのは命に嫌われない生き方を
人生の中で全うしていくことです。
社会のルールを守る事はもちろんですし、
ちょっとした譲り合いや思いやりを増やしたり、
ゴミが落ちていたら出来る限り拾ってあげりなど、
大切なのはこれまでの自分だったら
おそらくやらなかっただろうという所から
1つずつ自分を癒すために行動を変えながら
新しい自分と出逢うことなんです。
これまでの因果を解消する為にも
自分の当たり前の基準を高くして、
これまでの自分とは違う生き方を
人はいつからでもはじめる事が出来ます。
因果応報は必ず実話として起こっています。
あ~これは因果かなと思うことが大切です。
僕はその恐ろしさの中で1年で
6回の追突事故を身をもって
経験してきたからこそ、
自分の力で人生を豊かにする方法を
多くの出逢いから学べたのだと思います。
因果の恐ろしさを知っているだけで
自分の人生を丁寧に生きていけますから
生き方と在り方は変えていけるのです。
誰の人生にもある実話だからこそ、
僕の4冊目の書籍。覚悟の準備を
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特に男性の方はおすすめします。
生き方や在り方を変えていきたい方は
ぜひご覧になられてください。
あなたの未来に役立てると幸いです。