普通が分からない

生きづらさを手放すカウンセラーの松野です^^
今日は深い話をします。テーマは「普通」

僕たち人間がよく会話の中で使う言葉として、

普通に考えてみるとさとか、普通はって、

本当によく使っていると思いませんか?

そこには倫理観・道徳観・価値観
これらを全てひっくるめて普通という言葉を使ったり、

倫理観(社会のルール)だけの普通もあったり、

道徳観(人間としての善悪)の普通もあったり

価値観(個人が大切にしていること)の普通もあったり、

この普通って言葉は便利なようで便利でもなく、
僕がよくクライアントさまに伝えるのは、

普通=「特別な私」という意味だということです。

自分の普通と相手の普通が違い過ぎると
人間関係が続きませんよね?

でも、僕たちは自分の「普通」を相手に
押し付けていくことが多々あります。

これは親も、教育者も、みんな同じですから
常に学んでいきたいですよね。

どうでしょうか?普通という言葉よりも
一般的に・・・の方がいいのかもしれませんね。

裕福な家庭で育った普通と、

一般の家庭で育った普通は、

価値観が大きく違いますよね?

でも、倫理観や道徳観は近いかもしれない。

なら、日本で育ってきた「普通」と
海外で育ってきた「普通」だったら

倫理観の普通から違いますよね?
でも、道徳観や価値観は近いかもしれない。

つまり、「普通」に考えるとから
はじまる会話が人間関係をこじらせるんです。

なら、どうすればいいのか?というと
これはあまり難しいことではなくて、

どちらかが自分の普通と、
相手の普通は違うということを
しっかりと認識しておくことが大切です。

どちらかに受け流す技術がないと
人間関係が続かなくなるからですね。

そして、合わない人とは合わないと
境界線をひいて、自分を守って大丈夫です。

本当に合う人とだけ仲良くしていいんです。
あくまで仲良くまでですよ?

気を許すとはまた意味が違いますからね。

気を許すは、緊張の糸を外すということ
ネガティブな自分もさらけだせることですからね。
ここは気を付けておきましょうね。

しかし、そうは言っても松野さん。
学校でも、仕事でも、合わない人と
話さないといけない時があるでしょ?

すごく分かりますよ~ みんなそうですもんね。

その時は思い出してください。
自分の普通と、相手の普通は違うということ・・・


それを自分が認識していれば、
イライラや怒りが出にくくなります。

怒りが強く出てしまうのは、自分の普通と相手の普通が
基本的には同じだと思ってしまっているからです。

どちらかというと価値観の違いというよりも、、
道徳観(人として・・・)の所でズレがでます。

でも、その大元の原因になっているのが
僕たちが普段から使っている「普通」という言葉なんです。

僕たち日本人は、学校教育の中で
みんなと仲良くしましょうと学びます。

会社の中でもコミュニケーションを大事に
全体が1つになるようにと言われます。

でも、それは100%は出来ないんです。

特に仕事になると合わない人とでも、
会社の為にお酒を飲みに行ったり、

学校ならPTAとか、地域員とか
合わない人と向き合わないといけません。

その時に普通に考えたらとか、
普通はという言葉がたくさん
交差すると思います。

一人ひとりが言っている普通って、
どこからどこまでを普通だと言っているのか?

これが人間関係の中で難しいんですよね。

でも、繰り返しますが自分の普通と相手の普通は
だいぶ違うと思っておけばいいんです。

特に合わない人とは、だいぶ違うの距離を
肌感覚で感じるので分かりやすいと思います。

その中で言葉を選び、行動を決めればいいです。

何を話せるかが知性ですし、

何を話せないかが品性です。

最後にどう伝えるかが人間性になります。

普通とは?特別な私であるということを
どうか忘れないでくださいね。

特別な私なのですから、普通じゃ嫌だと思う必要は
1つもありません。

これは普通だねと言われても
傷つかなくていいです。

どこにでもある普通だなと言われても
あなたにとってはそうなのでしょうと
サラッと受け流せばいいです。

よくよく考えていくと、花も、落ち葉も、
遠くから見れば、普通と思ってしまうかもしれませんが、

近づいてよーく見ると1つとて同じ花も、
落ち葉もありません。ちゃんと特別なんです。

大切なのは、自分の普通に近い人と過ごすこと。

自分の普通とは違う人とは割り切ること。

ただ、その全てを引き寄せていくのは、
普段の自分の生き方と在り方が作っていきます。

類は友を呼ぶ。引き寄せていくのは本当ですからね。

自分の生き方と在り方を大切にしていけば
それに近い人が生涯の友達やパートナーになりますし、

自分の生き方と在り方が違う人は
いつか勝手にというか自然に離れていきます。

繋がっている人とは、いつまでも繋がっていますし、
繋がらない人とは、繋がらなくなります。

それが生き方を通じたご縁というもの・・・

普通という言葉は、簡単なようで難しいですよね?

昔の普通と、今の普通は違うと思っていても
人間としての生き方と在り方は同じ時もありますし、
大きく違う時だってあります。

大昔は、兄弟同士やいとこ同士が
結婚することが当たり前でした。

今の普通に当てはめたらどうでしょうか?
信じられないと思うはずです。

でもね、そういう教育を受けているだけで、
僕はカウンセラーでもありますから
色んな人と出逢います。

男性が男性と結婚しても、女性が女性と結婚しても
その人たちにとっては、それが普通なのですから
否定する権利はないと思うんです。

本人たちがお互いを理解して、認めあって
誰にも迷惑をかけずに生きていくのなら、

その普通があってもいいよねと祝福してあげる
そんな心の余裕をもっていたいと思います。

この普通の所を、今の時代に合わせて
もう少し掘り下げていくと・・・

例えば、障碍者のお子様を持たれている
ご家庭の中では、

障碍者の子どもの性を満たしてあげる為に
お母さんが女性になってSEXをしてあげる。
そんなご家庭もあるんですよね。

そのご家庭にとっては、それが普通なんです。
信じられないとは僕は言い切れません。

そのお母さんは、障害を持つ子どもが
自分の性をコントロール出来ずに、

いつか自分がいない時に外に出て、
無関係な女性に対して過ちを犯すぐらいならって、
家族の中でお互いが話あって決めたとのこと。

なら、これらの普通に対しても僕たちは、
自分の普通から否定する権利はあるのでしょうか?
僕はないと思います。

だからこそ、僕たちが生きる上で大事なのは、
自分の普通を相手に押しつけないことです。

自分の普通と、相手との普通は違うことを
自分の中でしっかりと認識しておくこと。

その中で折り合いがつけれる所を
自分の中で見つけていくこと。

それが自分の為にも、相手の為にも
境界線を引くということです。

自分の心を守ることを最優先してくださいね。
それは自己中でもなんでもありません。

普通とは?特別な私であるということです。

生きづらさに悩む時や人生相談がある時は、
本来は有料なのですが5回までは、

メッセージカウンセリングが無料です。
↓ ↓ ↓
https://kokoro-mirai.jp/line-koushiki/

あっ、あともう1つ。

世の中では環境が人を育てると
良く言われていますが、

皆さんはどう思いますか?

僕も確かに一理あるとは思うんです。

でも、環境が人を育てるという
本当の意味って・・・

その環境の中で、自分の本音に気づくことが
環境が人を育てる意味だと思うんです。

つまり、その状況から自分はどうするか?
どういう生き方を心がけていくのか?

そこに気づいていくことだと思います。

環境が良い所で自由に育っても
人としての所を教えなければ、

どこかで人としての道は外します。

逆に環境が悪い所で育っても
人としての教えがあれば、

そこから這い上がれる力を、
僕たち人間は持っているんですよね。

そう考えると人は誰と出逢うかで
人生が大きく変わっていくと思います。

そこから自分はどう生きていくか?

自分の人生を、自分の名前で引き受けて
どう在りたいのか?

ここが1番。大切なんだと思います。