結論から言うと期待をし過ぎないことです。
子供は親のものではありません。
子供も一人の人間としての尊厳があります。
うちの子育てのテーマは、
自分の名前で生きていける
心の強さを得ること。
なぜなら、日本は空気を読めという風潮が
世界で1番強いハイコンテクスト文化だからです。
つまり、自分の足でちゃんと立って
世の中とうまく向き合える考え方や捉え方など、
自分自身をコントロールできる様になること。
最後に1番大切になってくる部分は、
親が早い段階で子供に与えてあげる所は、
自立できる様にしてあげることです。
僕たち親はいつこの世からいなくなるか分かりません。
だからこそ、子供が自分の名前で生きる強さを
ちゃんと持てるか持てないかです。
人生の主語を相手にしている内は、
そこに本当の意味での成長はありません。
いずれにしても、親からは離れていきます。
そして、中学生にもなってくれば、
何に影響されていくのかも、
親は見えませんよね?
だから、子供の人生だからこそ、
若い間に今の瞬間、瞬間を大切にしながら、
地に足を付けて生きていける様に
、
僕は一人の人間として、
子供たちと向き合っています。
なので、学校に遅刻しようが、休もうが
病欠以外は一切注意をしません。
全て自己責任でさせています。
自分の力で起きてもらいますし、
自分でご飯を食べてもらい、
学校に行ってもらいます。
それが10代の中で学べる
子供の仕事だからです。
学校に行きたくない時があったとしても、
うちの場合は親として、学校に電話してあげて
適当に誤魔化して休ませたりしません。
自分で行きたくない理由を、まずは親にも伝えて、
先生にも伝えて休むなら休めばいいと教えます。
全て自己責任として、あとから自分がどういう思いをするか?
どういう経験が必要になるのか?どれぐらい勇気が必要になるか?
こういう話をちゃんとした上で決めてもらいます。
もちろん、友達との喧嘩とか
いじめなどの悩みは別問題です。
今、僕がお話をしているのはもっと手前の部分です。
親は「優しくない優しさ」を持っておかないといけません。
そもそも宿題は終わったのか?
明日も学校だから早くお風呂に入れとか、
早く起きないと遅れるよ?部活に送れるよ?とか、
自分の人生なのだから、中学ぐらいになったら
1つ1つ注意をする必要はありません。
自分で決断させて、良くも悪くも
その反動が自分の人生にどう影響するのか?
それを経験させてあげる過程が大切なのです。
最も教えるべき事は、因果応報があるということ
なんでも、相手や環境のせいにしないこと
今の現実を招いているのは、自分なんだという所に、
どれだけ早く気づいて自分自身と向き合えるかどうかなんです。
うちは5年生から、自分の足で立てるように
自分の力でちゃんとやっていけています。
怒られるのも、恥をかくのも自分ですから
本人が嫌なら、宿題も勝手にやりはじめます。
僕は人としての筋道、自分軸だけで物事を
判断しないこと
身の回りの整理整頓が自立心を生むこと
できない・やれないの前に出来るかもしれない。
やれるかもしれないと思える「かもの法則」など、
これからの日本社会において、
自分の名前で生きていく事の大切さだけは、
日常会話の中で何度も繰り返しながら、
楽しく分かりやすく伝えています。
あとは自分で考えて、自分で責任を持って
何事にも取り組める様に考えてもらう様に
成長していけばいいんです。
だから、特別な過保護はしません。
その様に学校にも伝えています。
仮に学校を休むとしても、
家でも同じ生活をしてもらいます。
休んだからと言って、家の中で適当に
スマホなどを見て遊ばせたりはしません。
適当な理由で休むならそれなりの
因果応報があるという事を
学んでもらいたいからです。
宿題をするのも、勉強をするのも自分の意思。
やらないならやらないで、反動を受けるのは自分。
先生に叱られるのも自分。
その因果応報として、やらないならやらないで
その間の時間を埋める為に、親の都合などで
スマホを見る時間は与えません。
今の子供たちは、昔以上に与えられるのが当たり前。
これに慣れ過ぎて生きています。
だからこそ、与えられている事の有難さを
自分自身が気づかないと、年齢だけ重ねて
価値観が簡単に変われないのです。
だからこそ自由が欲しいなら、
不自由さに責任を持ちなさいと伝えています。
それが出来る限り、他人に迷惑をかけない程度なら
大概の事は大目にみます。
なので、うちの場合。試験の結果が悪かろうが
何も叱りもしないし、塾にも行かせていません。
いつも話すことはやるだけやった結果なのか?
何もやらない中での点数だったのか?
この過程について自分なりにどう思うのか?
その事について色々と話をします。
目の前の結果に対する過程を聞いてみて、
次にどう繋げた方が未来に繋がるか?
本人の意見を聞いて、必要ならアドバイスをして
次に向かって行動してみたらどうかな?と伝えます。
その中で、本人が心の底から
塾に行きたいとかになれば、
当然ながら応援はしますが、
本人がそう思わない限り、周りに合わせて、
世間体を気にして強制的に行かせる事はありませんし、
僕たちは自分の人生を歩く訳なのですから、
一人の人間として、自分の生き方の軸を持って、
自分自身をコントロール出来れば、
ちゃんと世の中を自分の名前で
生きていく事が出来ます。
高校も県立に行こうが、市立に行こうが
父親の僕はどちらでも構いません。
なぜなら、良くも悪くも自分の決断で、
そして毎日の過程の中で決まっていく
子供の人生なのだから・・・
親が強制する事ではないのです。
親が強制させても、本人の中から
湧き上がる気持ちがなければ、
何かがキッカケとなりバーンアウト
※燃え尽き症候群になりかねません。
今の話で言えば、本人の人生にとって
県立、私立のが全てではないし、
どちらに転んでも自分の人生だから
どっちが良いとか悪いとかないからです。
そこからどういう意味付けをして、
前を向ける様にシフトチェンジ出来るか?
親がいなくてもその技術が重要です。
その中で、親が世間体ばかりを気にして、
絶対に県立へ行ってもらいたいとか、
子供は親の為に学校に行って、
そして塾に行くのでしょうか?
今は、そういう子供が多い気がします。
親はね、目に見えない期待を、
子供に与えてはいけないのです。
例えば、テストなどが良い結果だったとしても
いい点数とれたね!次も頑張ってね!と
安易に言ってはいけません。
実は、これが口癖になっていると
子供の未来を考えるとあまり良くない。
なぜなら・・・
子供たちの感情の奥には、
良い結果、良い点数を取らない限り、
自分という存在は認めてもらえないんだという
「承認欲求」の歯車が少しずつ狂い出します。
小さい時ほど潜在意識にある状態のままですから
うまく言葉で表現出来ない時期こそ、
年齢を重ねていく度に強くなっていきます。
だから、成人すると人間関係のトラブルが起こりやすく
親はトラブルを起こす子供の気持ち(本音)が
分からないと悩む事が多くなるのです。
次も頑張ってね!という本質は深いんです。
そこに親が気づけていない事が多いので・・・
だからこそ、結果以上に過程です。
そこまでの過程に寄り添うこと
結果以上に過程が自分が育てること
そこを認めてあげないといけません。
もちろん、物事にはやる前から、
結果が分かる時もありますが、
ほとんどの出来事に対して、
結果がどうなるかは誰も分かりません。
どんな一流のオリンピック選手だって、
金メダルがとれるかは分かりませんよね?
大事なのは、そこまでの過程を一緒に考えて
次はどうするかを決めてもらう事です。
良かった時は喜び、悪かった時は反省して
次はどうしていこうか?を考えて決めること
自分の子供でも、親のものではありません。
一人の人間として、親は接していきながら、
自分の名前で生きる為に大切な事を、
1つずつ教えてあげないといけません
だから親も人間力を磨かないといかない。
子供はちゃんと自分で考える事が出来ます。
仮にズレがあるなら、そこだけを手助けをして、
ひょっとしたら相手はこう考えたのかもしれない。
こういう風に考えると楽になるかもしれないみたいに
次の行動に繋げるキッカケを与えてあげる事です。
僕たち親世代はバブル時代か、ロスジェネ世代が大半です。
今の子供たちはゆとり・さとり世代なので、
歩んできた時代が違います。
時代は違いますが大切な部分は変わりません
本当に大切なのは、自分の名前で生きること
最後の最後は、誰も助けてはくれません。
だから、親の僕たちが居なくなっても、
子供が自分の名前で強く生きれる様に、
そこまでを導いてあげる事が
僕たち親の役目だと思います。
あなたは子供に何を遺しますか?