生きづらさを手放すカウンセラー松野です。
今日は生きづらさを生きていく為に、
とっても大切な話をしますね。
国内においては「生きづらさ」を感じる人は
3人に1人の割合でいると言われています。
なぜ、生きづらさが起こってしまうのでしょうか?
一般的には人間関係が関係していると
言われているのですが、
実はそうじゃないことの方が多いんです。
それでは皆さんは生きづらさって、
何が一番の原因を占めていると思いますか?
環境や性格など色々と浮かぶと思います。
この生きづらさは社会人になってから
急に起こる時もありますし、
仕事で世代交代が起きる時や、
結婚して環境が変わってからなど
人それぞれ起きるタイミングは違います。
起きるタイミングは違うのですが
男性よりも、女性の方が多く、
年齢的には30代から40代から
起こりやすいとも言われています。
今なんとなく生きづらさを
感じているのでしたら
もうかなり無理をされている状態ですから
ゆっくり心を休ませてくださいね!
これまで1500人の方々とメール相談や
面談をしてきたのですが、
生きづらさに悩む方や、
自分を変えたいと願う方は、
記憶が曖昧になりかけている幼少期に
根元の原因が隠れていることが多いです。
こう聞くと家庭環境が絡んでいるのかな?と
思われるかもしれませんが、
親から物凄く大切に育てられたとしても
生きづらさは出るんですね。
親から大切に育てられた方と
大切に育てられていない方には
ある共通点があります。
それは家庭のバランスを保つ為に
「いい子」であろうとすることです。
親から大切に育てられた方は
親の期待や願いに応えようとして
自分の本音を誤魔化しながら
いい子であろうと頑張ります。
逆に親から大切に育てられていない方は
親に怒られない為に、見捨てられない様に
自分の本音を抑えながらいい子であろうとします。
どちらも子供らしく生きることができずに
自分の本音を隠して生きることが
いつの間にか当たり前になってしまうんですね。
ほとんどの人が幼少期の頃に
親の態度や顔色を見ながら育ちます。
時には親の愚痴を聞いてあげたり
子供なのに家族のバランスを保つ為に
カウンセラーみたいなこともします。
家族全体のバランスを保つ為に
こうあるべきというスタイルが、
あまりにも当たり前になりすぎて
根元の原因に気づいていないのです。
子供の時にどんな言葉や愛が欲しかったのか?
気づいていないからこそ、大人になっても
誰かに愛されたい、周りから認めてもらいたいという
承認欲求だけが強くなってしまうんですね。
この欲求が強くなると、自分の事は二の次になって
嫌われたくない一心から、子供の頃はいい子、
そして大人になればいい人を演じてしまうので、
相手のちょっとした事が気になって不安に包まれます。
相手から自分の存在を承認をされないと、
精神的に疲れて生きづらさを感じるようになります。
自分の弱さが悪い訳じゃないよ?
この様に大人になってから生きづらさが強くなると、
多くの方が自分の弱さに原因があると
勘違いをしてしまうんです。
弱さに焦点を当てるからこそ
メンタル本に興味をもちはじめて、
ネガティブ思考を変える為に
自己肯定感を高めようとします。
もちろん、学ぶことが悪い訳ではありません。
ただ、何度もお伝えしている通り
根元の原因が見つかっていないので、
メンタルを強くしようとしたり、
自己肯定感を高めようとしても
一次的な回避にしかならなんですね。
ご経験がある方もいらっしゃるかもしれませんが、
ほんの数日で元に戻ってしまう自分を、
必要以上に責めてしまうので、
変われない自分が嫌になるんです。
僕はトラウマから生きづらくなった
そういう僕も幼少期から複雑な家庭環境の中で
育ってきた一人でして、
特に父は普段から気性が荒い所もあり、
直ぐに手が出るので慢性的なトラウマに
なっていきました。
家の中で暴れない様に今日の父の態度や
顔色を察しながら1日を組み立てていく
母の姿を見てきましたので
いつの間にか僕も自分のことは二の次で
相手のことを最優先する自己犠牲が
当たり前になりました。
もちろん、相手の事を先に考えて
能動的に動くことは、
仕事をする上では非常に役立った所もあるのですが、
自分の内側を満たす考え方がない中で、
相手に嫌われない様に動いても
いつか必ず限界が来てしまいます。
ずっと心にフタをして自分を誤魔化しながら
相手の為に動いても相変わらず生きづらさは減りません。
突然、両親二人の在宅介護がはじまる・・・
そんな時です。親友と会社を立ち上げてから
半年後の2014年10月。忘れもしません。
母が末期がんで倒れてしまうことになるんですが、
頑なに入院を拒否するので、突然の在宅介護が
はじまることになります。
更に、この3ヶ月後。
父もステージ3Bのガンだということが発覚して、
一人っ子の僕は、生きづらさが消えないまま
両親2人の親になるような生活を余儀なくされます。
青天の霹靂の様な出来事でした。
毎日、毎日。消えかかりそうな命の灯が
目の前にある中で、
これまで学んできたポジティブ思考や前向きな言葉。
ツイてるを100回?みたいなことを無理やり使っても、
今の現実を否定しているようで、
なんか自分がみじめになるような気がしましたし、
何より母が喜ぶとは思えなかったんですね。
ただ、僕の想いとは裏腹に母は違ったんです。
かたくなに入院を拒否して在宅介護を選んだのは
自分が旅立っても、父が残る訳ですから
自分の命を賭けて幸せについての在り方を
介護を通じて僕に教える為だったんです。
無理に変わろうとしてはいけない教え
昔から母は無理に変わろうとしては
ダメだと言ってました。
何も加えない、何も引かない。
ありのままの自分でいいと・・・
人間は自分の弱さを認めてからじゃないと
気づけないと・・・
冒頭でも触れましたが、今、
世の中ではメンタルを強くしようとか、
自己肯定感を高めようという本で
溢れかえっています。
もちろん、それが間違いだとは言いません。
でも、まだ自分と他人に
厳しくないといけませんか?
もう世の中は充分に厳しいですよ。
みんな生きることに精一杯です。
それなのに、まだメンタルを
強くしないといけませんか?
まだ自己肯定感を高める努力が
必要でしょうか?
僕たちにとって1番大切なのはソコじゃない。
変わるって自分を癒す技術をもつこと
自分の内側から自分をどう癒していけるかどうかです。
それが本当の意味で「変わること」だと思います。
このヒントをくれたのが亡くなった母が、
自分の命を使って僕に何度も伝えてくれた
幸せに対する在り方でした。
幸せは求めちゃいけない。
幸せは追いかけることでもない。
幸せは手に入れるものと錯覚しないこと。
つまり、幸せとは?気づくことなんだと・・・
いや~刺さりました・・・
これまで悩んできた僕の生きづらさが
薄れた瞬間でした。
みんな、心に何かしらの傷を持っています。
これまで色んなことがありましたよね?
だからこそ人は「もう傷つきたくない」と思って、
心に鎧をまとって生きようとします。
でも、傷つくことって生きる上で、
どうしても避けて通れないと思いませんか?
心の傷が気づきをくれることを知る
なぜかというと・・・
心の傷こそが幸せに対する
気づきを与えてくれるからです。
僕たちは傷ついた経験を通じて
本当は何を大切にしたいのかに
気づくことができます。
もう他人の幸せを奪って埋めようとしたり
妬みや僻みに時間を使って
不幸と約束をしてはいけません。
あなた自身が自分の親になる感覚をもって
自分を癒す為に時間を使ってあげてください。
人は傷つきから生まれる気づきから
自分の内側から幸せを生み出せます。
僕が伝えている人の幸せは
心の傷が9割の本当の意味は
幸せに気づくことであり、
命に嫌われない生き方を
はじめていくことなんです。