生きづらさを手放すカウンセラーの松野です。

出版社さんやクライアントさまの応援もありまして、
今回、大谷由里子先生が以前から主宰されている
全国・講師オーディションにエントリーしました。

9月15日時点では134票で
予選の途中経過では1位でした。
本当にありがとうございます。

良かったら松野に力を貸してください^^

第12回全国講師オーディション松野正寿

いや~ドタバタしながら全体の原稿が間に合わず
エントリー動画もかなりギリギリとなりました。
ファイナリストに残れるように頑張ります。

どのテーマで行こうか色々と悩みましたが、
やっぱり自分の生きづらさを解放してくれた
命に嫌われない生き方で行こうと決めました。

いきなりですが、皆さん。
日頃の行いがあまり良くない人を見たり、
またニュースで悪い話などを耳にすると、

「あ~やっぱり天が見ているから悪いことはできんね~」と思って、
知人や子供たちに話たりしませんか?

僕は亡くなった母からよーく言われていました。
「おてんとさんがいつもみよるけん悪いことはできんよ」って、

それじゃ、おてんとさんと言われる、
この天はいったいなんだと思います?

これからちょっと変な話をしますが、
僕はある出来事を通じて、

天は自分の命を紡いでくれた
ご先祖さんじゃないかな~と思うようになったんです。

過去に起こった6回(本当は7回)の追突事故

なぜそう思う様になったのかというと、
20代の時に信じられないかもしれませんが、
1年間の中で追突事故に6回も遭ってしまいました。

普通に考えるとありえないですよね?
追突事故にあう度に、

なんで俺だけこんな目に遭うんだろうな~
もう面倒くさいな~とグチばっかりです。

何度もこんな目にあっているのに、
今年は運が悪いな~と思うだけで、
普段の生き方や習慣は全く変えようとしません。

お恥ずかしい話。
当時の僕の根元にあった考え方って、
例えば・・・・            

本を読んで人生が変わるなら苦労はしない・・・とか、
習慣を変えた所で別にお金が降ってくる訳じゃないよね?
みたいなひねくれた考え方だったんです。

悪いのは俺じゃない。環境のせい、親のせい、親戚のせい、
得意先のせい、結局は誰かのせいにして生きてきたんです。

でも、不思議と最後の追突事故の時に・・・
なぜかこんなことが頭の中をかけめぐっていきます。

これはもう運がいいとか悪いとかの次元じゃなくて、
いつまで経っても自分の使命に気づけない僕に対して
ご先祖さんたちが、

「ここで生き方を変えないとお前やばいぞ?」
というメッセージを送ってくれているような気がしたんです。
今までそんなこと考えたこともありませんでした。

この6回の追突事故をキッカケに、
よーやく本気で変わる覚悟を持って
生きていくことになります。

特に実感したのは、相手を変えようとする事に
時間を使うよりも、自分が先に変わった方が
結果的にイライラせず、

ほどよく生きていけることを学びました。
ただですね~ 生き方を変えたまでは良かったんです。

自分が先に変わることの学びの中で、
相手の為に相手の為に相手の為に・・・
という想いが優先しすぎたせいか、

どこかしら無理を重ねて
自己犠牲を繰り返しているので、
なんか前より生きづらくなっちゃいました。

両親の介護から学んできたこと

そんな時です。青天の霹靂がやってきます。
もう忘れもしません。

会社を立ち上げた矢先の2014年10月。
母が乳がん末期で倒れます。その3ヶ月後。
父が直腸がんと肋骨に転移ありで倒れます。

更に二人が選んだ道は在宅介護。
一人っ子の僕は頭の中が真っ白です。
頼る親戚もほとんどいません。

なんで生き方を変えたのに・・・
「こんな出来事が起こるかね?」と落ち込んでいる時に、
なぜか6回の追突事故の事を思い出します。

エッ?ひょっとして、あの時ご先祖さんから
「使命転換の合図」としてもらったメッセージって、
この時の為なの?

いやいや、ちょっとまって!
介護で何学べばいいの?てか、
手続き分からないし、

ご飯作れないし…カップラーメンは作れるけど
みたいな感じで頭の中はパニックでした。

こんな経緯がありまして、僕は仕事をしながら
30代半ばで両親二人を一人で介護する・・・

いわゆる両親の親になるというような
第2の人生がはじまります。

長い間、DVを受けてきた過去があるからこそ・・・

実は、気性が荒い父の影響もあって
母も僕も長い間DVを受けてきた心の傷があります。

だからこそ、自分の残り時間が短いことを
知っている母は病院という選択をせずに、
一人残される息子が、

父の介護もしなければいけないので
この在宅介護を通じて、

命に嫌われない生き方を
僕に伝えたかったんだろうと思います。

母の言葉から命に嫌われない生き方

少子高齢化社会の中ではどんな介護も人手が足らず、
ましてや在宅介護となれば本当に大変です。
当時は僕も毎日2時間睡眠でした。

そんな中で・・・学歴もなく人と話すのが苦手だった母が、
いつからか神様が乗り移ったように、

色んな話をよくしてくれるようになったんです。

またこの介護という命の時間があったお陰で、
僕は心理カウンセラーの道を志すことになります。

結果的にあの気の弱かった母が、
僕の生きづらさを救ってくれることになるのですが、
こんな話があります。

あのね、生から死を考えるより、お母さんのように
死から生を考える立場になったら当たり前の日々が、
どれだけ愛しいか分かるやろ?

だから命に嫌われない生き方が大切なんよ?
あんたもまだまだできとらん。

僕は介護ベットで目を瞑りながら話す母に聞き返しました。
「母ちゃんが思う命に嫌われない生き方ってどうしたらいいって、」

「そんなの簡単よ。朝起きたら
自分の寿命が終わる最初の1日だと思って
感謝すればいいとよ。毎日それの繰り返し。」

朝起きたら、自分の寿命が終わる最初の1日だと思うこと・・・
考えたことなかったです。母は続けます。

「自分の寿命が終わる最初の1日だと思っておけば、
これまでの苦しみも、心の傷も気づきに変えられるやろ?」

改めて僕は聞きました。「心の傷も気づきに変えられるんって?」
「そう、だって「幸せは気づくことやもん」

この一言が衝撃でした。

「幸せは追いかけちゃいかん。幸せは求めてもいかん。
幸せは手に入れるものと錯覚しない。
どんな時も幸せはいつも気づくことよと・・・」衝撃でした。

僕は過去の傷が今の自分を作っていると思っていました。
でもそうじゃなかった。

今の自分が過去を決めつけているだけだと気づかされました。

母との別れも近づいた中での話だったので、
もう涙が止まらなかったですね。

皆さん僕は分かったんです。相手や物ごとに感謝は出来ても、
自分に向けた感謝が出来てなかった。

母が教えてくれた心の傷を気づきに変えず、
自分を癒すことを徹底的に放棄していたんです。

でも、母と過ごした命の時間の中で、心の傷こそが、
幸せに対する気づきを与えてくれることが分かって、
すごく腑に落ちました。

これってきっと僕だけじゃないと思うんです。
みんな、何かしら心の傷を持っています。

だからこそ人は「もう傷つきたくない」と思って、
過去に鎧をまとって生きづらさを生きようとします。

でも、傷つくことって生きる上で、
どうしても避けて通れないと思いませんか?

社会や人と関わる以上、何かしら心に擦り傷を負っていきます。
だから、見ないように誤魔化すんじゃなくて自分から気づいて、
そして寄り添ってあげてください。

そうしないと心の傷がかさぶたにならないんですね。

幼少期の頃を思い出してみてください。どんな言葉が、
どんなしぐさが、どんな愛が欲しかったですか?

でも、もう大丈夫。今日で分かりましたよね?幸せは気づくことですよ。

アフターコロナの今。多くの方が過去を変えたい、
現実を変えたい、未来を変えたい、

何より自分を変えたいと強く願われています。
ただ、変わりたいって自分を癒すことなんだ
ということをどうか忘れないでください。

母が教えてくれた「命に嫌われない生き方」は、
幸せも、心の傷も、気づくことでした。

傷つくのは怖いかもしれません。でも傷ついていいんです。
なぜなら心の傷こそが幸せに対する気づきを必ず与えてくれます。

もう誰かに承認されるまで自己犠牲をするのはやめましょう。
自分の名前で生きていけるように、

僕と一緒に命に嫌われない生き方をはじめませんか?